長谷川等伯「楓図」壁貼付け
30年ほど前であろうか、等伯の「楓図」の豪壮に、凄い絵師がいると感激したものだ。
以来、京都へ行くたびに必ず智積院詣で。
当時は、訪れる客も少なく、また、座して観覧できるので、約半日は等伯と長谷川派三昧だった。
東京国立博物館にある「松林図」が平常展で開催された時見たが、
あぁ 日本人だなぁ! と感じた。
『日本美術絵画全集』の「松林図」でアパートの襖に模写したこともあった。
「楓図」は数年前修復に出されていたが、今回見た胡粉の落剥は30年前よりひどくなっていた。
前掲書と今回の展覧会カタログの部分図を見ると、白いケイトウが落剥している。
修復で良くなった部分は水面の群青が明るくなったことだろうか。
400年過ぎれば、退色は仕方ないが、晩夏の鬱蒼として草花に巨木表現の楓が、
絢爛豪華な景色を作っている。
等伯のほかの図でも盛り上げ胡粉が落剥しており、数100年後の保存を考えると、
盛り上げ胡粉は使わない方が良い。
20年ほど前、狩野安信朱筆『図絵宝鑑』の記事を筑波大学図書館報に記載したが、
唐様に属する彼を「和魂漢才」と紹介した。
その理由は『等伯画説』と彼の資質にある。
「如拙、宗文(周文)ハ唐ヤウノ開山也。和尚(牧渓)ニ不劣筆也」とし、
「周文-雪舟-等春-無文・宗清(父)・等伯」と記し、唐様に自ら位置付けている。
しかし、「和尚ハ玉ヲ盤ノ上ニマワスガ如ノ自由也」、
「黙庵、性徳ハ日本人也、日本一ノ絵也」、
「窪田ノ将監トテ土佐ノ将監(土佐光信か)ホドノ絵書アリ」などなど、
彼我の違いを、師雪舟同様もしくは、それ以上強く認識していたと、私には感じられたからだ。
勿論、雪舟と異なり、中国には行かなかったが、識画で自由に批評出来る画人の自負が感じられる。
「楓図」の下から上昇する勢いは、狩野永徳の「檜図」屏風の上から下へ押さえつける威圧感と
よく対比されるが、
同じ巨木表現でありながら、豪華絢爛さと伸びる勢いは等伯にかなうものはいない。
「東京国立博物館で長谷川等伯展」
http://www.tohaku400th.jp/
2010年3月13日土曜日
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