2010年3月13日土曜日

The impression of the work of Tohaku Hasegawa. 長谷川等伯を感じて

長谷川等伯「楓図」壁貼付け

30年ほど前であろうか、等伯の「楓図」の豪壮に、凄い絵師がいると感激したものだ。
以来、京都へ行くたびに必ず智積院詣で。
当時は、訪れる客も少なく、また、座して観覧できるので、約半日は等伯と長谷川派三昧だった。
東京国立博物館にある「松林図」が平常展で開催された時見たが、
あぁ 日本人だなぁ! と感じた。
『日本美術絵画全集』の「松林図」でアパートの襖に模写したこともあった。

「楓図」は数年前修復に出されていたが、今回見た胡粉の落剥は30年前よりひどくなっていた。
前掲書と今回の展覧会カタログの部分図を見ると、白いケイトウが落剥している。
修復で良くなった部分は水面の群青が明るくなったことだろうか。
400年過ぎれば、退色は仕方ないが、晩夏の鬱蒼として草花に巨木表現の楓が、
絢爛豪華な景色を作っている。
等伯のほかの図でも盛り上げ胡粉が落剥しており、数100年後の保存を考えると、
盛り上げ胡粉は使わない方が良い。

20年ほど前、狩野安信朱筆『図絵宝鑑』の記事を筑波大学図書館報に記載したが、
唐様に属する彼を「和魂漢才」と紹介した。
その理由は『等伯画説』と彼の資質にある。

「如拙、宗文(周文)ハ唐ヤウノ開山也。和尚(牧渓)ニ不劣筆也」とし、
「周文-雪舟-等春-無文・宗清(父)・等伯」と記し、唐様に自ら位置付けている。
しかし、「和尚ハ玉ヲ盤ノ上ニマワスガ如ノ自由也」、
「黙庵、性徳ハ日本人也、日本一ノ絵也」、
「窪田ノ将監トテ土佐ノ将監(土佐光信か)ホドノ絵書アリ」などなど、
彼我の違いを、師雪舟同様もしくは、それ以上強く認識していたと、私には感じられたからだ。
勿論、雪舟と異なり、中国には行かなかったが、識画で自由に批評出来る画人の自負が感じられる。

「楓図」の下から上昇する勢いは、狩野永徳の「檜図」屏風の上から下へ押さえつける威圧感と
よく対比されるが、
同じ巨木表現でありながら、豪華絢爛さと伸びる勢いは等伯にかなうものはいない。

「東京国立博物館で長谷川等伯展」
http://www.tohaku400th.jp/